おせち料理の歴史にせまる!その由来は奈良時代にあった!?
お正月といえばおせち料理!
年末にお母さんやおばあちゃんが忙しそうに作られるご家庭もあれば
おせちをおとりよせするご家庭もあると思います。
こんな多種多様なおせちですが、もともとはどのようなものだったのでしょうか?
一緒にその歴史を探ってゆきましょう!!
おせちの歴史!はじまりは奈良時代
日本ならではのおせち。誰もがきっと歴史が深いだろうと想像するのではないでしょうか。
おせちの起源は奈良時代、朝廷で行われる宮中行事の宴料理までさかのぼります。
節目となる節日に行われる宴会を、節会(せちえ)といいます。
平安時代はこの節会が大変盛んになりました。
あれです、ドラマによく出てくる華やかなシーンですね。
主な節会:1/1・1/7・1/16・5/5・11月の豊明(とよのあかり)
この5日間を合わせて五節会というんですが、
五節会で出される料理のことを御節供(おせちく)と呼びました。
そしてその御節供が短くなって御節(おせち)というようになったわけですね。
庶民におせちが広まった江戸時代はおせちが年に○回も作られた!
江戸時代、幕府が節日を制定します。
五節句といえばぴんとくる方もいるのでは?
桃の節句や端午の節句がそのうちのひとつです。
幕府が決めた節日は祝日として庶民にも広まっていき、
豪華な料理が作られるようになりました。
この頃のおせちは年に5回も作っていたわけです。す、すごい・・・。
やがて一番最初の、一番おめでたいお正月のみがおせちとして浸透していきました。
江戸時代末期から、おせち料理が重箱に詰められるようになりました。
『縁起物を重箱に詰める=福が重なる』という願いが込められたのだそう。
重箱って広げられるし重ねられるしで意外に便利なんですよ。
今でもピクニックに重箱を使うお母さんも、少なくはないですよね。
当時4段もしくは5段あった重箱ですが、現在では2段または3段重ねが一般的です。
おせちと呼ばれるようになったのは終戦以降
おせちの歴史は大変深いのですが、名前として定着したのは第二次世界大戦後。
まだ100年も経ってないんです。
現在のおせちはお正月のごちそうという観念を残しつつも、
ローストビーフだったりいくらやクリームチーズだったりと
食べたいものがふんだんに詰められていますよね。
実家のおせちもトンカツや焼き鳥が入っていましたよ~。
子どもたちにとって大変楽しみなおせちでした。
こうでなきゃダメ!というくくりが現在のおせちにはないですよね。
まとめ
家族のために年末頑張るお母さんの姿はいつになっても同じです。
おとりよせのおせちだって、家族の喜ぶ顔を見たいからこその注文ですから。
超贅沢なおせち、少人数用プチおせち、ペット用おせちまである世の中です。
今のおせちは決して堅苦しいものではないですよね。
お正月という行事のごちそうとしてこれからも永く続けていきたいものです。
なかなか難しいおせちの重箱の盛り付けのこつはこちらでご紹介してます♪↓
おせちのお煮しめにお悩みだったらこちらをご覧ください。↓